2013年12月02日
ひとり暮らしは孤独だ
こんばんは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
師走ですね
仙台の街は「光のページェント」の電飾の設置作業が進み
いよいよ冬がやってくることを実感します
さて、今日は、先週末に参加してきた
「荒ガチ!ひとり暮らし応援プロジェクト」という市民講座にて
「孤独」や「防災」を切り口に、色々と考えさせられたことを
徒然と書いていきます
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よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
師走ですね
仙台の街は「光のページェント」の電飾の設置作業が進み
いよいよ冬がやってくることを実感します
さて、今日は、先週末に参加してきた
「荒ガチ!ひとり暮らし応援プロジェクト」という市民講座にて
「孤独」や「防災」を切り口に、色々と考えさせられたことを
徒然と書いていきます
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2013年11月11日
素敵な学生さん来所
こんにちは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
今日で震災から2年8ヶ月が経ちます
しかしながら、住まいを追われて避難生活を余儀なくされている方が
今でも28万人いるそうです(助けあいジャパンより)
復興はまだまだ終わっていません
まだまだこれからなのです
しかし、震災の記憶というものは、刻一刻と風化している
と、仙台に住んでいても感じるところです
さて、そんな前置きから始まりましたが
今日は、震災の記録を後世に伝える「東日本大震災の記録〜東北の『今』〜」
というプロジェクトを展開中の上智大学国際教養学部の学生さんが
復興応援隊の事務所に来所されました
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よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
今日で震災から2年8ヶ月が経ちます
しかしながら、住まいを追われて避難生活を余儀なくされている方が
今でも28万人いるそうです(助けあいジャパンより)
復興はまだまだ終わっていません
まだまだこれからなのです
しかし、震災の記憶というものは、刻一刻と風化している
と、仙台に住んでいても感じるところです
さて、そんな前置きから始まりましたが
今日は、震災の記録を後世に伝える「東日本大震災の記録〜東北の『今』〜」
というプロジェクトを展開中の上智大学国際教養学部の学生さんが
復興応援隊の事務所に来所されました
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2013年10月28日
絶景、白菜の島
ブログではすっかりご無沙汰しております
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
ここしばらくの間、月曜日が祝日だったり、お休みを頂いたりで
月曜担当のブログ記事の更新をサボっておりましたが…
久しぶりの更新となる今回はイベントレポートです
10月19日、仙台市若林区中央市民センター事業である
「仙白園(せんぱくえん)プロジェクト・人(ひと)」の
「白菜の島を訪ねるツアー」に参加してきました
続きを読む
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
ここしばらくの間、月曜日が祝日だったり、お休みを頂いたりで
月曜担当のブログ記事の更新をサボっておりましたが…
久しぶりの更新となる今回はイベントレポートです
10月19日、仙台市若林区中央市民センター事業である
「仙白園(せんぱくえん)プロジェクト・人(ひと)」の
「白菜の島を訪ねるツアー」に参加してきました
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2013年10月07日
1年
こんばんは!
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
10月になりましたね
金木犀があちらこちらで香る季節
空気が澄んできて、夜空のきれいな季節
田んぼでは稲刈りの終わったところが増え
すっかり秋の風景です
さて、私が復興応援隊として
若林区の復興に関わるようになってから
ちょうど1年になります
時間が経つのは早いものです
振り返れば色々なことがありましたが
六郷・七郷コミネットの会員の方々を始め
多くの方のご指導を頂きながら
なんとか、ここまで来れたな、という感じです
この1年間
見慣れた風景であっても
写真などを見ながら振り返ってみれば
色々な変化があることに気付かされます
そんなことからも
自分自身がまずは1年間走ってきたのだ
ということを再確認できました
被災された方々の生活の再建のため
というのはもちろんのことですが
これまで、気にかけて色々とご支援くださった
多くの方に、その御恩を返していくという
そんな思いもこめて
復興応援隊としての2年目の歩みを
進めて参りたいと思います
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします
(仙台市立荒浜小学校/12年12月27日撮影)
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
10月になりましたね
金木犀があちらこちらで香る季節
空気が澄んできて、夜空のきれいな季節
田んぼでは稲刈りの終わったところが増え
すっかり秋の風景です
さて、私が復興応援隊として
若林区の復興に関わるようになってから
ちょうど1年になります
時間が経つのは早いものです
振り返れば色々なことがありましたが
六郷・七郷コミネットの会員の方々を始め
多くの方のご指導を頂きながら
なんとか、ここまで来れたな、という感じです
この1年間
見慣れた風景であっても
写真などを見ながら振り返ってみれば
色々な変化があることに気付かされます
そんなことからも
自分自身がまずは1年間走ってきたのだ
ということを再確認できました
被災された方々の生活の再建のため
というのはもちろんのことですが
これまで、気にかけて色々とご支援くださった
多くの方に、その御恩を返していくという
そんな思いもこめて
復興応援隊としての2年目の歩みを
進めて参りたいと思います
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします
(仙台市立荒浜小学校/12年12月27日撮影)
タグ :仙台市若林区復興応援隊
2013年09月30日
情報部会にて思うこと
こんばんは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
以前も書いたことがあったかもしれませんが
「誰のために、何のために」ということについてについて綴ります
今回の話題は、先週木曜日に開催された
六郷・七郷コミネットの情報部会での議論に始まります
続きを読む
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
以前も書いたことがあったかもしれませんが
「誰のために、何のために」ということについてについて綴ります
今回の話題は、先週木曜日に開催された
六郷・七郷コミネットの情報部会での議論に始まります
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タグ :六郷・七郷コミネット情報部会
2013年09月09日
七ヶ浜シャルソン
こんばんは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
仙台はすっかり秋の空ですね…
さて、8月26日の記事でも触れていましたが
先日、七ヶ浜シャルソンなるイベントに参加してきました
その時の様子をお伝えします
※シャルソンとは…
このページが分かりやすく書かれてるでしょうか…?
…
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よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
仙台はすっかり秋の空ですね…
さて、8月26日の記事でも触れていましたが
先日、七ヶ浜シャルソンなるイベントに参加してきました
その時の様子をお伝えします
※シャルソンとは…
このページが分かりやすく書かれてるでしょうか…?
…
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2013年08月26日
うみ・ひと・まち 七ヶ浜町へ【追記:8月27日10時30分】
こんばんは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
さて、早いもので、8月も最終週ですね
少しずつ真夏の暑さを抜け出し秋の気配も感じられるような
そんな空気感が仙台には出てきたかなぁ、というところです
今回は、10日近く前のことになりますが
8月17日に七ヶ浜の被災地見学のご案内をした件について
書いていこうと思います
…
日頃からお世話になっているKIDS NOWさんからの依頼で
東京は六本木にある「侍と撫子の台所 ようざん」という飲食店の
店長はじめ、従業員の方々の被災地見学をセッティングしました
(といっても、七ヶ浜で活動されるNPOさんにつないだだけですが…)
「七ヶ浜へお連れして」という依頼だったのですが
私自身、七ヶ浜は、震災以前からたびたび遊びには行っていたものの
それほど詳しくはなかったこともあり、七ヶ浜在住の友人を頼って
NPO法人 レスキューストックヤードさんに協力頂くことにしました
急なお願いだったにも関わらず
対応して下さったスタッフの皆様には感謝してもしきれません…
レスキューストックヤードさんの事務所がある
七ヶ浜町のボランティアセンター内で
写真等を見せていただきながらの、七ヶ浜の被災状況や
復興への取組み等々をご説明いただきました
事務所を出て、いざ、見学へ
多聞山にて、案内のスタッフの方より説明を受けています
多聞山の展望台からは、松島を一望できます
震災前は海水浴場として賑わった、菖蒲田浜です
津波の被害だけではなく、地震により地盤沈下が酷かったことが分かります
ブロック塀の色が濃くなっているところが、震災前の砂浜の高さだったそうです
震災以降、遊泳禁止となっていますが
お盆最後の日曜日ということもあり、海水浴客は少なくありませんでしたが
ライフセーバーが居るわけでもないので、もしもの時が心配です
また、飲み食いした容器や花火などのゴミが目立ったのも気になりました
時間の都合上、車から降りて見学したスポットは
多聞山、菖蒲田浜の2ヶ所だけでしたが
道中は、「ここは震災時〜」「ここは●●がもともと建っていて〜」
などなど、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました
七ヶ浜は海に囲まれた、自然豊かな土地です
菖蒲田浜の他にも、サーファーの多く集まる小豆浜や
私の好きな湊浜緑地海岸など、多くの「浜」があります
また、この土地には、復興に向けて
強く歩まれている方々も多く居ることでしょう
震災の傷跡が残る場所もまだまだ少なくありませんが
ぜひ一度訪れてみてほしいところです
最後に…
「七ヶ浜シャルソン」なるイベントが9月7日に開催が予定されています
どうやら、まだ、参加者募集中のようです
興味のある方は、ぜひ参加してみて下さい
私も参加を予定していますので
色々と、七ヶ浜の魅力に触れられればと思います
(多聞山にて撮影)
※写真データが手元にないので、後日アップします!
→8月27日10時30分写真追加及び加筆修正しました
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
さて、早いもので、8月も最終週ですね
少しずつ真夏の暑さを抜け出し秋の気配も感じられるような
そんな空気感が仙台には出てきたかなぁ、というところです
今回は、10日近く前のことになりますが
8月17日に七ヶ浜の被災地見学のご案内をした件について
書いていこうと思います
…
日頃からお世話になっているKIDS NOWさんからの依頼で
東京は六本木にある「侍と撫子の台所 ようざん」という飲食店の
店長はじめ、従業員の方々の被災地見学をセッティングしました
(といっても、七ヶ浜で活動されるNPOさんにつないだだけですが…)
「七ヶ浜へお連れして」という依頼だったのですが
私自身、七ヶ浜は、震災以前からたびたび遊びには行っていたものの
それほど詳しくはなかったこともあり、七ヶ浜在住の友人を頼って
NPO法人 レスキューストックヤードさんに協力頂くことにしました
急なお願いだったにも関わらず
対応して下さったスタッフの皆様には感謝してもしきれません…
レスキューストックヤードさんの事務所がある
七ヶ浜町のボランティアセンター内で
写真等を見せていただきながらの、七ヶ浜の被災状況や
復興への取組み等々をご説明いただきました
事務所を出て、いざ、見学へ
多聞山にて、案内のスタッフの方より説明を受けています
多聞山の展望台からは、松島を一望できます
震災前は海水浴場として賑わった、菖蒲田浜です
津波の被害だけではなく、地震により地盤沈下が酷かったことが分かります
ブロック塀の色が濃くなっているところが、震災前の砂浜の高さだったそうです
震災以降、遊泳禁止となっていますが
お盆最後の日曜日ということもあり、海水浴客は少なくありませんでしたが
ライフセーバーが居るわけでもないので、もしもの時が心配です
また、飲み食いした容器や花火などのゴミが目立ったのも気になりました
時間の都合上、車から降りて見学したスポットは
多聞山、菖蒲田浜の2ヶ所だけでしたが
道中は、「ここは震災時〜」「ここは●●がもともと建っていて〜」
などなど、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました
七ヶ浜は海に囲まれた、自然豊かな土地です
菖蒲田浜の他にも、サーファーの多く集まる小豆浜や
私の好きな湊浜緑地海岸など、多くの「浜」があります
また、この土地には、復興に向けて
強く歩まれている方々も多く居ることでしょう
震災の傷跡が残る場所もまだまだ少なくありませんが
ぜひ一度訪れてみてほしいところです
最後に…
「七ヶ浜シャルソン」なるイベントが9月7日に開催が予定されています
どうやら、まだ、参加者募集中のようです
興味のある方は、ぜひ参加してみて下さい
私も参加を予定していますので
色々と、七ヶ浜の魅力に触れられればと思います
(多聞山にて撮影)
→8月27日10時30分写真追加及び加筆修正しました
2013年08月12日
1945年8月9日11時2分を追って
こんばんは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
今年はお盆休みを頂いて、両親の実家のある長崎県諫早市に来ています
1年半ぶりに会う両親の祖母はふたりとも元気そうでホッとしました
今日は一日空いていたので、長崎市内を観光してきました
今回の旅のテーマは【原爆】です
原爆爆心地〜原爆資料館〜原爆死没者追悼平和祈念館〜
平和公園〜如己堂〜永井隆記念館〜浦上天主堂
上記の行程で爆心地から2km圏内あたりを徒歩で回りました
その中から、特に印象深く残った
永井隆記念館にて拝見した文章を転載します
【原子爆弾の破壊のうちで、一番おそろしいものは何であったか】
「心の傷」生き残った市民の一人一人は、「私はひきょう者だった」「私は彼を見殺しにした」などと己を責めた。原爆はあらゆるものを灰塵化したばりでなく、かげがえのない互いの心をもバラバラに引き裂いてしまった。彼らは癒しがたいうずきを感じながら、独りいては後悔に胸を打ち、隣人を見ては、また、胸を打ちつつ生きねばならなかった。
(「私たちは長崎にいた」より)
原子爆弾によって私たちが受けた被害のうちで最も大きなものは、家を失ったことでもなく、財産を焼かれたことでもなく、多くの血のつながる者や友を殺されたことでもなく、体が不自由になったり、病気になって働けなくなったことでもなく、実にそれは私自身に魂の醜さをまざまざと見せつけられ、また隣の人たちの魂の醜さをもはっきりと見たことによる、人間に対する信頼を失ったことであります。 年月がたつにつれて、物がなくなったり人が死んだりした時の悲しみや恐れなどは次第にうすれて行き、反対に魂に受けた被害の方は、いよいよ明らかになって、私を苦しめるのです。
(「如己堂随筆」より)
東日本大震災で被災された方には
この当時と似たような状況に置かれている方もいるのでは、と
そう思わずにはいられません
…
今日は少し涙腺が緩いようです
原爆で亡くなられた方々に思いを馳せつつ
今宵はこの辺りで筆をおきます
(如己堂/13年8月12日撮影)
※永井隆氏についてはこちらのリンクよりご覧ください
永井隆ストーリー 己の如く人を愛したひと
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
今年はお盆休みを頂いて、両親の実家のある長崎県諫早市に来ています
1年半ぶりに会う両親の祖母はふたりとも元気そうでホッとしました
今日は一日空いていたので、長崎市内を観光してきました
今回の旅のテーマは【原爆】です
原爆爆心地〜原爆資料館〜原爆死没者追悼平和祈念館〜
平和公園〜如己堂〜永井隆記念館〜浦上天主堂
上記の行程で爆心地から2km圏内あたりを徒歩で回りました
その中から、特に印象深く残った
永井隆記念館にて拝見した文章を転載します
【原子爆弾の破壊のうちで、一番おそろしいものは何であったか】
「心の傷」生き残った市民の一人一人は、「私はひきょう者だった」「私は彼を見殺しにした」などと己を責めた。原爆はあらゆるものを灰塵化したばりでなく、かげがえのない互いの心をもバラバラに引き裂いてしまった。彼らは癒しがたいうずきを感じながら、独りいては後悔に胸を打ち、隣人を見ては、また、胸を打ちつつ生きねばならなかった。
(「私たちは長崎にいた」より)
原子爆弾によって私たちが受けた被害のうちで最も大きなものは、家を失ったことでもなく、財産を焼かれたことでもなく、多くの血のつながる者や友を殺されたことでもなく、体が不自由になったり、病気になって働けなくなったことでもなく、実にそれは私自身に魂の醜さをまざまざと見せつけられ、また隣の人たちの魂の醜さをもはっきりと見たことによる、人間に対する信頼を失ったことであります。 年月がたつにつれて、物がなくなったり人が死んだりした時の悲しみや恐れなどは次第にうすれて行き、反対に魂に受けた被害の方は、いよいよ明らかになって、私を苦しめるのです。
(「如己堂随筆」より)
東日本大震災で被災された方には
この当時と似たような状況に置かれている方もいるのでは、と
そう思わずにはいられません
…
今日は少し涙腺が緩いようです
原爆で亡くなられた方々に思いを馳せつつ
今宵はこの辺りで筆をおきます
(如己堂/13年8月12日撮影)
※永井隆氏についてはこちらのリンクよりご覧ください
永井隆ストーリー 己の如く人を愛したひと
2013年08月05日
当たり前を取り戻すこと
こんばんは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
仙台は七夕花火大会でしたね
雨が降り、公式サイトがサーバ落ちするほど
開催が心配されましたが
無事、1万6,000発の花火が打ち上がりました
…
本日の記事のタイトルである
「当たり前を取り戻す」
詳しくは花坂がレポートする予定ですが
先日、「10代が訪ねる六郷・七郷」なるイベントが
若林区中央市民センター主催で開催されました
そのプログラムに浸水区域である若林区井土地区にある
海楽寺の大友住職による講話の時間がありました
そのテーマのひとつとして取り上げられていたのが
「当たり前を取り戻す」でした
七夕の花火大会は今回で44回目
仙台ではこの花火大会が、夏の風物詩のひとつとなっていますが
2011年を振り返ってみると
震災から約5ヶ月、沿岸部をはじめ
まだまだ混乱の中にあったにも関わらず
震災の犠牲者への鎮魂と復興への願いを込め
今年と同じく1万6,000発の花火が打ち上げられました
「当たり前を取り戻す」という想いが
主催されたJCの方々にあったのかどうかはわかりませんが
結果的には仙台市民が当たり前を取り戻していくための
象徴的なイベントになったと思います
当たり前を取り戻せていない部分も、まだあります
とりわけ沿岸部については、課題が山積みです
当たり前を取り戻せた、と実感を得ることができるようになるまで
あとどれくらいかかるのでしょうか
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
仙台は七夕花火大会でしたね
雨が降り、公式サイトがサーバ落ちするほど
開催が心配されましたが
無事、1万6,000発の花火が打ち上がりました
…
本日の記事のタイトルである
「当たり前を取り戻す」
詳しくは花坂がレポートする予定ですが
先日、「10代が訪ねる六郷・七郷」なるイベントが
若林区中央市民センター主催で開催されました
そのプログラムに浸水区域である若林区井土地区にある
海楽寺の大友住職による講話の時間がありました
そのテーマのひとつとして取り上げられていたのが
「当たり前を取り戻す」でした
七夕の花火大会は今回で44回目
仙台ではこの花火大会が、夏の風物詩のひとつとなっていますが
2011年を振り返ってみると
震災から約5ヶ月、沿岸部をはじめ
まだまだ混乱の中にあったにも関わらず
震災の犠牲者への鎮魂と復興への願いを込め
今年と同じく1万6,000発の花火が打ち上げられました
「当たり前を取り戻す」という想いが
主催されたJCの方々にあったのかどうかはわかりませんが
結果的には仙台市民が当たり前を取り戻していくための
象徴的なイベントになったと思います
当たり前を取り戻せていない部分も、まだあります
とりわけ沿岸部については、課題が山積みです
当たり前を取り戻せた、と実感を得ることができるようになるまで
あとどれくらいかかるのでしょうか
タグ :仙台七夕10代が訪ねる六郷・七郷
2013年07月29日
事務所を構えました
こんにちは
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
仙台はなかなか梅雨が開けませんね
暑いのは苦手ですが、青空が恋しいです
さて、これまでは、イベント等のレポートが中心の内容でしたが
それに加え、今週からは応援隊3名の思いや日々の活動を月、水、金と
週3回の頻度で更新していきたいと思います
月曜は私、水曜は工藤、金曜は花坂がそれぞれ担当する予定です
…
今回は応援隊の仕事場について
昨年10月から若林区役所内に机を用意していただいて
活動して来ましたが、今年5月より3名体制になり
いよいよスペース的に手狭になってきました
そこで、5〜6月と通常業務の傍ら、物件探しを進め
7月1日付けで区役所から徒歩7,8分のところに
事務所を構えることができました
冷蔵庫も掃除機もまだありませんが
3人で様々な案件についてあれこれ議論しながら
いい雰囲気の中、日々の業務に取り組むことができています
よしだけいしゅん@仙台市若林区復興応援隊です
仙台はなかなか梅雨が開けませんね
暑いのは苦手ですが、青空が恋しいです
さて、これまでは、イベント等のレポートが中心の内容でしたが
それに加え、今週からは応援隊3名の思いや日々の活動を月、水、金と
週3回の頻度で更新していきたいと思います
月曜は私、水曜は工藤、金曜は花坂がそれぞれ担当する予定です
…
今回は応援隊の仕事場について
昨年10月から若林区役所内に机を用意していただいて
活動して来ましたが、今年5月より3名体制になり
いよいよスペース的に手狭になってきました
そこで、5〜6月と通常業務の傍ら、物件探しを進め
7月1日付けで区役所から徒歩7,8分のところに
事務所を構えることができました
冷蔵庫も掃除機もまだありませんが
3人で様々な案件についてあれこれ議論しながら
いい雰囲気の中、日々の業務に取り組むことができています